車中泊の旅「さば街道の宿場町」福井県熊川宿

車中泊で立寄りたいのが
日本海から京都に通じる街道の
熊川宿です。

日本海側を福井県越前から舞鶴に向かう
丹後街にの沿って走る丹後鉄道「上中駅」の手前から、
若狭街道別名鯖街道が分岐する。

当時の歴史や街道沿いの風情ある
街並みを歩くことができます。

ご紹介いたします。

「御食国」若狭

「御食国」(みけつくに)とは、
天皇の御食料を指す「御食」を納めた
国のことを言います。

若狭は、
塩や海産物等を納める「御食国」として、
古木から重要な役割を
果たしてきました。

しばらく走ると
熊川宿が右手に見えてくる。

駐車場があり、
そこに止めて若狭の方から
宿場町に入り街中を歩きます。

日本海側を福井県越前から舞鶴に向かう

その先にある最初の宿場町が熊川宿です。
江戸時代の最も栄えた時の
半分の戸数にまで減少しました。

現在その時の家屋や情景が
そのまま残されています。

鯖街道の由来

若狭街道は、
小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、
熊川を経て、
滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、
大原八瀬の三千院あたりから
京都へ入る道のことだとあります。

小浜から見て、
「京は遠ても十八里」と言われたほど
京都とは関係の深い土地だそうです。

この距離をプロットしてみました。

いろいろな説があるようですが、
あくまでも概要です。

小浜で水揚げされた魚(サバ)は
背負子に入れて京都まで一昼夜歩いて
運んだという記録が残されています。

その重さは40㎏~60㎏もあったそうです。

小浜で獲れたサバにひと塩し、
夜を徹して京都まで運ぶ間に塩が程よく
効いてきて着いたころには
最も良い味になったようです。

近くには道の駅「若狭熊川宿」があります。

ここには資料館があり、
鯖街道の様子や資料があり当時を
体感できるようです。

サバずしも売っていました。

サバは、塩漬けにして鮮度が落ちないように
京都まで運ぶのですが、
途中山中で盗賊に取られる事もあり、
苦労したようです。

熊川宿とは

熊川宿入り口

熊川宿は、
重要伝統的建造物群保存地区に選定されていて、
平成27年には熊川宿を含む若狭街道(鯖街道)が
「~御食国若狭と鯖街道~」
として日本遺産に認定されました。

熊川というところは
もともとは戸数40ほどの
小さな寒村であったのです。

江戸時代に近江の国境に接する宿場町として
大いに繁栄しました。

京都方面に向かって歩くと、
熊川宿の案内が経っています。

ここから熊川宿の町並みが始まります。

途中でカギ型に道が曲がっています。

熊川宿の町並み

江戸初期から中期にかけて、
この熊川宿の戸数は200戸を越えていたのです。

交通の発展により若狭街道を使う事が少なくなり、
現在では半分の100戸ほどに
減っているそうです。

家の前に小さな川が流れています。

道の両側には、
当時の建物が軒を連ねていました。

家の前に水路というか堰(小さな川)が流れています。

家から水路に降りて、
この水で野菜を洗ったりして活用していました。

実に生活に密着している水路で、
降りてみましたが丁度良い高さに足場があり
洗うのにも楽です。

生活用水なのですね。

日本海の小浜で採れたサバ。

当時は若狭湾でサバが豊漁で水揚げが多く、
京都では大衆魚として重宝されたようです。

現在鯖街道と呼ばれている街道の他に
多数サバを運ぶ道があったと
記録が残っているようです。

京都まで一昼夜をかけて寝ずに運んだ

実際に少し歩てみましたが、
京都まで一昼夜をかけて寝ずに運んだ当時の人々の
体力・健脚ぶりは真似が出来ません。

すぐに鮮度が落ちるサバを生のまま運ぶ技術
日本人の知恵であり
素晴らしい工夫をすると思います。

まとめ

福井県若狭の熊川宿の紹介でした。

鯖街道は、日本人の工夫と技術の高さを知る旅でした。

■車中泊先は、京都舞鶴港です。

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tabito(旅人)

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