九州までの車中泊の旅の途中山口美祢市に入ったのは夕方。
車中泊の場所をさがしていたら「道の駅 みとう」があった。
ここで一晩、仮眠してもいいのか?
つまり車中泊が可能なのかをチェックしてみた。
「道の駅 みとう」をチェック!
はるばる、島根県出雲市の道の駅湯の川を出発して山口県美祢市まで来ました。
「道の駅みとう」はここにあります。
道の駅みとうに着いたのは、午後5時ごろ。
それほど大きくない道の駅ですが、トイレも清掃されて新しいとはいえないものの問題なし。
目の前の道路を挟んでコンビニがあり、さらに駐車場の横にはスーパーもあり便利です。
道の駅みとうの注意事項をチェックしてみました。
道の駅みとうに車中泊の注意書きは?
どこにも車中泊禁止とは表示されていません。(2018年10月現在)
なので、一晩だけ休憩と仮眠をとらせていただくことにしたのです。
つまり車中泊をさせてもらうことにしました。
「道の駅みとう」の近辺を散策してみた
朝早く起きて散策。
そばにきれいな川が流れていてビオトープがあります。
そこには鳥が休んでいたりや魚も泳いでいた。
そして周りは山々に囲まれとても環境が良い道の駅です。
実は、その山々の向こうがあの「秋吉台の鍾乳洞」がある有名な場所でした。
実は道の駅みとうの観光看板をみて驚いたのです。
ここは「明治維新発祥の戦い」の地で、山口県美祢市美東町だったということ。
どんな歴史があったのか、散策した記録からご紹介。
大田・絵堂(おおだ・えどう)の戦いの地だった?
歴史がまったくダメなぼくですが、この看板にはとても興味がありその説明を読んでみました。
今回は、その中の一つに「大田・絵堂の戦い」が紹介されていました。
「大田・絵堂の戦い」は、長州藩の中の保守派と革新派の間で起きた10日余りの内戦です。
長州藩の革新派は、元治2年(1865年慶応元年)1月6日深夜、凍てつく夜道を「絵堂の宿場」へと進軍を開始。
1月7日の午前2時、開戦。
保守派藩政府軍と、町民や農民も混じった革新派諸隊の戦いは勝ち続けました。
激戦の中、地元の農民や町民も革新派に協力。
10日間に渡る戦。
農民や町民と下級武士等で編成された革新派が武士らの軍隊に勝利。
長州藩の政権は革新派となり、以後長州の意思は統一されました。
その後討幕への道を進み、薩長同盟の密約もなされ明治維新へと向かっていくのです。
道の駅「みとう」から歩いて10分位のところに、ひっそりと「金麗社」があります。
金麗社は、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らがここ「金麗社」に本陣を置いた。
そして、作戦会議を開き勝利祈願を行った場所。
ここの同じ場所で160年ほど前にあったこと。
それが、あの「高杉晋作、伊藤博文、山形有朋」がいて会議をしていたのが、とっても不思議な感じがしました。
明治維新は、ここから始まったのですね。
なので「明治維新発祥の戦い」の意味がやっと理解できました。
実際に訪れて道を歩いてみると、当時の面影がいたるところにありました。
この大田川を挟んで政府軍と改新派が戦ったんですね。壮絶な戦いだったとのことです。
時間があれば、歴史的な意義のある場所ですので訪れてみるのはいかがでしょうか。
道の駅みとうの近くに秋吉台鍾乳洞がある
道の駅みとうから車で約30分程度のところに秋吉台鍾乳洞があります。
広大な秋吉台を車で走ると気持ちがいいです。
秋吉台をドライブしたら鍾乳洞へ立ち寄ってみました。
駐車場は、町営もあるのですが、安いところを案内してくれたので、500円。
歩いて数分で秋吉台鍾乳洞の入り口に到着。
この入り口を通過すると、古の時間を超えた不思議な空間へと入っていきます。
涼しいというか寒いくらいです。
鍾乳洞の入り口付近に食堂があったので、定食を食べました。
このあと山口県の秋吉台を離れて、北九州へと入る予定。
山口県の「道の駅 みとう」のまとめ
車中泊の旅では、偶然に休んだ場所が有名な歴史をもつだったことがあります。
車中泊をしたら近辺を散策すると、面白いことが見つかるワクワク感がいっぱい!
ぜひ、車中泊する場所の近辺をチェックしてみましょう。
tabito(旅人)