「明治維新発祥の戦い」の地。山口県美祢市美東町

大田・絵堂の戦い(おおだ・えどう)

九州までの旅の途中で山口県美祢市の道の駅「みとう」で休むことにしました。
道の駅「みとう」は、そばにきれいな川が流れていてビオトープがあり、鳥が休んでいたりや魚も泳いでいます。周りは山々に囲まれとても環境が良い道の駅です。道を挟んでコンビニもあり駐車場の脇にはスーパーもあり便利です。

今回は、その中の一つに「大田・絵堂の戦い」が紹介されていました。歴史に疎い時分ですが、とても興味がありその説明を読んでみました。

「大田・絵堂の戦い」は、長州藩の中の保守派と革新派の間で起きた10日余りの内戦です。一般に知る人はあまりいません。 内容をまとめると次の通りです。


今から約150年前の元治元年(1864年)尊王攘夷を決行した長州藩は、文久3年(1863年)8月、会津藩と薩摩藩を中心としたクーデターで京都追い出され、 幕府の長州征伐、 そして攘夷の報復としてイギリス、フランス、オランダ、アメリカの4か国連艦隊に破れるなど大変な危機の状態にありました。
藩存亡の危機に陥った萩の長州藩保守派・藩政府 は幕府への低姿勢をとるに至りました。

この事態に憂いた革新派の高杉晋作は、12月15日に下関長府の功山寺にて、80名余りで決起しました。これに同調した伊藤博文や山形有朋らの諸隊も加わり徐々に勢力を増していきました。藩政府が解散命令をだしても無視したため、藩政府は追討する命令をだしました。

ついに年が明けた元治2年(1865年慶応元年)1月6日深夜、諸隊は凍てつく夜道を絵堂の宿場へと進軍を開始しました。

1月7日の午前2時、開戦。
保守派藩政府軍と、町民や農民も混じった革新派諸隊の戦いは勝ち続けました。激戦の中、地元の農民や町民も革新派に協力していったのです。死者は41名と記録にあります。

10日間に渡る戦いでは、農民や町民と下級武士等で編成された革新派は、武士らの軍隊に勝利しました。藩の政権は革新派となり、以後長州の意思は統一されました。


その後討幕への道を進み、薩長同盟の密約もなされ明治維新へと向かっていくのです。
その中心となったメンバーは、ここ「金麗社」集った面々です。

明治維新は、ここから始まったのですね。
なので「明治維新発祥の戦い」の意味がやっと理解できました。

道の駅「みとう」から歩いて10分位のところに、ひっそりと「金麗社」があります。

金麗社は、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らが本陣を置き作戦会議を開き勝利祈願を行った場所です。

実際に訪れて道を歩いてみると、当時の面影がいたるところにありました。

この大田川を挟んで政府軍と改新派が戦ったんですね。壮絶な戦いだったとのことです。

時間があれば、歴史的な意義のある場所ですので訪れてみるのはいかがでしょうか。

この後に、秋吉台鍾乳洞へ行きました。別のレポートでご紹介します。

tabito(旅人)

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