富山県にある菅沼合掌造り集落の位置を紹介します。
菅沼合掌造り集落は、1995年に岐阜県白川郷、五箇山相倉とともにユネスコの世界遺産に登録されました。
この集落にはあまり知られていないもう一つの顔があります。
険しい山の中にありますが、実は火薬の材料「塩硝」も作られた驚きのバイオテクノロジーを持つ歴史もあり独自の文化がありました。
菅沼合掌作り集落の所在地と特徴を紹介したいと思います。
菅沼集落は険しく厳しい山間の村
険しい山の中に見えてくる集落は広大な大自然の中にたたずんでいます。
実際に住民が住んでいて生活の様子がうかがえるところがなんとも素晴らしいのです。
下の地図は菅沼集落近辺の案内地図です。荘川のカーブのところにあることが分かります。
白川郷から国道156号を進みます。
岐阜県飛騨高山から白川郷に入り観光をして後に、さらに国道156号「飛越峡合掌ライン」を進むと、険しい山奥の谷にひっそりと集落がたたずんでいます。
国道156号「飛越峡合掌ライン」は集落の山の上の方を走っています。上から見ると、本当に山奥の谷間にあるのだと分かります。
ここが、菅沼合掌造り集落で現在9戸の合掌造り家屋が現存しています。車を駐車場に止めて管理料として駐車場料を払います。
駐車場はあまり大きくはありません。
管理棟からエレベータで下に降ります。すると地下トンネルに到着し、右へ歩ていくとこの集落が広がります。
地下にこのような施設があるのは、外からはわかりません。
中に入ってみると驚きです。
ここを出ると、菅沼集落への小道になります。そこを進んで行きます。
どこかほっとする日本の原風景に出会いました。心が落ち着きます。
いたるところにきれいな水が湧き出ていて、生活にもつかっているようです。
本来、人間は自然から水をもらって生きていたんですね。
国道を挟んで、五箇山合掌の郷があります。
合掌造りの構造
合掌造りは厳しい大自然のなかで生きていくために人々を守るように作られた頑丈な構造です。
生活の場と仕事の場が一体化した合掌造りは、日本の木造建築の到達地点と言っても過言ではありまん。大家族で暮らす家。馬屋があり、屋根裏では養蚕、床下では塩硝を作っていました。
強靭な設計が残っている
根元の曲がった太い梁をつかい屋根を支える構造は強靭な合掌造りを支えます。山の斜面で重い雪に耐えた育ったナラの木を使います。
強靭な躯体としなやかな自然素材で構成された合掌造りは日本建築の奥深さを伝えてくれます。
五箇山の塩硝
塩硝は塩硝は硝酸カリウムで火薬の原料です。1543年にわが国へ鉄砲が伝来して30年後に、すでに五箇山で塩硝が作られていました。
五箇山の煙硝がこのような時代に作る文化はいったいどこから来たのでしょうか。
五箇山では、培養法で作っていました。
干し草と土と蚕糞を囲炉裏の周りの床下に深さ2m程の穴を掘り、その穴へ交互に入れ塩硝土を作り、発酵させて抽出し硝酸塩を取り出す方法です。
どの様にこの方法を編み出したのかは、分かりませんが素晴らしいバイオテクノロジーです。自然で出来るには70-80年を要したのですが,この方法だと約4年で塩硝が出来るようになったのです。
まとめ
今回は白川郷を見学にいきました。そこから金沢方面に行く途中でこの集落に出会いました。かねてから行きたかった五箇山でした。
険しい山の中で、豪雪に相当な年月耐えて来た合掌造りには威厳すら感じました。
現在そこで生活している方々が、いつものように日常を送っているのを見て観光地というよりも、そのまま現存する生きている集落を感じました。
しばらく時間を忘れて無心に見ていました。
tabito(旅人)