軽バンとメタ旅

番外編
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旅って自分の居場所から離れることか・・・

旅とは、自分の居場所から離れることかもしれません。


広辞苑によると、旅とは、定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくこと[1]、である。大辞泉には「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」とある

出典: Wikipedia

居場所を離れるための手段が・・・

離れる手段には乗り物や自分の足、ある時には妄想もそのひとつ。

人は旅をするためにいろいろな方法を選びます。

車、自転車、バイクを利用したり、飛行機、電車バスを利用したり、歩いたりして旅をします。グーグルマップやグーグルアースかも知れません。

車旅と軽バン。軽バンと車中泊・車旅と車中泊・・・

その車のジャンルに軽バンがあり、そこには泊まれるのです。

どうもこのスタイルに凝り固まっていたようです。

知識工学にメタ知識という考えがあります。メタとは何なんでしょう?

メタ知識

メタ知識を調べると定義は次のような説明があります。

metaとは「上位の」という意味があります。


メタ知識(英: Metaknowledge)とは、知識に関する知識である。メタ知識は、体系的問題の知識や領域に依存しない知識であり、様々な活動領域に応用可能な知識である。メタ知識は知識工学やナレッジマネジメントなどの知識を扱う学問の基本的概念であり、局所的な概念化や専門用語から抽象された統合されたオブジェクト/実体と見なされる。

出典: Wikipedia

旅のメタ知識とは、「人が手段を使って自分の居場所からはなれて、ひと時の場所へ行く事」。

旅のメタ知識は、「個々の旅の知識に依存しない知識であり、様々な活動領域に応用可能な知識」となります。

メタ知識をベースにすると、旅も固定概念から飛び出して自由自在な旅を表現できます。

目的のない旅

日本の歴史を見ると、旅はある目的から発生したようです。人類は狩猟時代に獲物を得る為に狩りの旅に出かけたのが始まりともいわれています。

目的地も期間も定めない旅に出る人もいる。いわゆる「放浪の旅」です。

目的地や目的を決めた旅では、解放されないから成り行き任せの旅もあるのです。

オブジェクト指向とメタ知識

昔、オブジェクト指向の考え方を議論した時期がありました。

自動販売機というクラスがある。

「何かを入れると何かが返ってくる。」

これには、これだけの構造しかない。

入れるものを「お金」にして、出てくるものを「切手」にすれば切手販売機になり、飲み物にすれば、ジュースやお酒の自動販売機になり、ガソリンにすればセルフのガソリンスタンドになる。

入れるものをクリックにして、出てくるものを商品にすれば、ネット販売になる。

一つのクラス(設計)に対して、様々なオブジェクト(実態)を作れば様々な働きをする。

メタ知識は、様々な個々の知識をオブジェクトとすれば、そのクラスかもしれない。

「何かを提供して何かを得るアルゴリズム」知識をメタ知識とすると、専門的に系統立った知識(例えば魚屋の販売方法、ショッピングセンターの販売方法、自動車の販売営方法・・・)に依存せずに応用可能なメタ知識となる。

軽バンと旅

軽バンを使って自分の居場所を離れて、他の土地に行く旅。

実は、軽バンでもキャンピングカーでも歩きでも、自分の居場所から離れて他の土地に行く事が「心地良い」という結果をたたき出しているのです。

「目的のある旅」というクラスであったり、「目的の無い旅」というクラスであったり、そこから生まれたオブジェクトが「軽バン」だったり「キャンピングカー」だったり「歩き」だったりする。

クラスのパラメータ(定義)はオブジェクトへの期待の表れなのです。

自由な旅「メタ旅」へ

車旅を固定的に考えていたのは、メタではなく個々のオブジェクトだったのです。

メタな旅。「メタ旅」をはじめよう。

旅というクラス(設計図)或いはメタ知識しか持たないので、実態は「旅に出てから生まれる」ことになります。

結果として、それが自分の独自の旅「オブジェクト旅」となっていくのでしょう。

決めない旅

なぜ人間は自由で束縛されない旅にでるのか?

オブジェクト(実態)の無い旅

はじめからオブジェクトを作らないメタな旅を望むところに、ワクワク感がこの上なくあるのですね・・・

tabito(旅人)

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